住職のつぶやき

「お米」と「念仏」

米騒動が一段落したら厳寒期の唐突な選挙となって世の中は慌ただしい。さて、米と言う字は「八十八」と読めるように、米作りには手間と時間を要する。一方、「南無阿弥陀仏」と申す「念仏」も数多くの手間と時間を掛けなければ本物の念仏は誕生しないことを痛感している。教養的に学問的に念仏の世界をつかんでも生活に根付いて発する念仏ととらえなければ何の意味もない。そのことを学んだのは京都・本山の教師育成の専修学院だった。教学で蓄積した知識はあくまでも机上のもの。寺という生活現場に戻ると、高齢の本物の念仏者からは我執を看破され、身動きが取れなかったことを覚えている。やっと素直に合掌でき、念仏のこころに気づくことで、初めて「お米」が生まれるまでの大変な現場にも気づくような私であった。お米も念仏もよくかみ砕いて味わいましょう!